アーユルヴェーダ・パンチャカルマ体験談「ワゴリの波動」

プネーから車で20分、ワゴリにある「アーユルベーダホスピタル&リサーチセンター」

サダナンダ博士の住む街[プネ]は、ボンベイから170キロほど内陸にはいったデカン高原の町で、人口200万人というインド第8の都会。私が行った8月は雨期の最中であったが、高原のため、まるで軽井沢のような気候だった。プネから車で20分程離れたワゴリという場所に、目指す病院[アーユルベーダホスピタル&リサーチセンター]はあった。緑豊かな農村地帯で、低いテーブルマウンテンの裾野には、63エーカーという広大な敷地が広がっている。その中心に病院と薬草園、コテージなどが配置され、周囲には放牧された牛がのんびりと草をはむ、美しく静かな風景が広がっていた。

最初の日は、朝10時ごろワゴリに到着し、問診や手続きを終え、自分の部屋のベッドにゴロリと横になってみた。すると、全く何の音もしない。私の家も相当に静かな所なのだがワゴリでは静寂のレベルがまるで違うのだ。皮膚を透して、毛穴から静寂が染み込んでくる…と感じるほどの深いしじまの中で、なんとなく体にビリビリとした不思議なバイブレーションが満ちてくるのがわかる。これは比喩ではなく、本当に何かの波動を感じるのだ。

私はあまり霊的な人間ではないので、こういう体験は初めてだったが、深い静寂の中には何かの[波]が満ちているのだということが実感としてわかった。地面には水晶のような石がたくさん落ちていたので、もしかしたらこの土地自体にそうした力があるのかもしれない。

アーユルヴェーダの聖地「ワゴリ」

そもそもこの土地は、サダナンダ博士の父君がそのグル(師匠)の啓示を受けて購入したという聖地だった。彼はアーユルベーダやヨーガ等、インドの伝承文化の素晴らしさを世界に広める財団を作り、土地を寄贈。財団は現在このワゴリの地に病床数100の病院を建設し、国内外からの患者が滞在しつつ治療できるような施設にすること、さらに、教育機関も併設してこの伝統を次世代に受け継いていくことを目標に活動を展開している。

しかし規模としては、病院といっても一辺30mほどの八角型の平屋で、実にこじんまりとした建物だ。医者のいない農村地帯なので、地域の診療所としての役割も果たしているが、癌治療など、特別プロジェクトの日はかなりの遠方からも患者がやってくる。遠くはカルカッタからも来た人いて、なぜそんなに遠くからくるのか?カルカッタにはアーユルヴェーダのいい病院はないのか?と聞いたら「一番遠い所から来たのは君だ。君はなぜわざわざ優れた病院のある日本からやって来たんだ?」とやり返されて大笑いになった。

宣伝や広告などは一切せず、口コミだけでこうなっているというので、それほどサダナンダ氏の脈診は定評があるようだった。

癌プロジェクト

しかし、診断だけでなく治療効果の方はどうなのか?確かめたいと思った私は、癌プロジェクトの診療を見学させてもらった。この日来た人は全員が生検によって癌であることを宣告されている患者だったが、みんな多かれ少なかれアー ユルヴェーダによって症状が軽減している。最も印象的だったのは喉頭癌で来院した60歳の男性で、15日前に初めて来院した時には、唾さえうまく飲み下すことができなかったのに15日間のアーユルヴェーダの薬の投与と生活の指示を守っただけで、すっかり飲み下せるようになったと言う。

また、通院して3ヵ月の別の喉頭癌の男性は声帯を除去するしかないといわれて来院したそうだが、全く出なかった声が、今ではしわがれ声ながらも喋べれるようになったと、自ら英語で話してくれた。

予防医学としてのアーユルベーダの素晴らしさは日本の先生方のおかげでよくわかっていたつもりだったが、治療医学としての面を目の当たりにして驚いてしまった。

しかし、それが自分の身にも起きることになろうとはこの時はまだ知る由もなかった。

聖地ワゴリ。創設者であるサラデシュムク・マハラジのサマディ(霊廟)に朝日が昇る

ワゴリのアーユルヴェーダ大学校舎

ワゴリの大学で熱心に勉強する生徒達

国際癌学会で発表するサダナンダ・P・サラデシュムク博士(サダナンダ先生)

ワゴリにて、ガンプロジェクトを取材するドイツのテレビチーム。左端が博士

日本アーユルヴェーダ学会報シャーンティ・マールガ誌1998年Vol.4号に掲載された「パンチャカルマ体験談」